私と同じように、EU AI法(EU AI Act)という新しい規制の話を初めて聞いたとき、2018年のEU一般データ保護規則(GDPR)施行を思い出した方もいるのではないでしょうか。EUは消費者保護の分野で規制整備を先導することが多く、それが他の地域に広がっていく点は、今回も共通しています。
かつてiPhoneがコンシューマー市場に登場し、やがて職場へと浸透していった時のことも思い出されます(私自身、最後までBlackberryにしがみついていた一人ですが)。AIも同じです。個人の「便利さ」から先に広がり、組織が正式に導入する前に、気づけば業務の現場に持ち込まれています。いわゆる「シャドーAI」のリスクは、今や世界中のネットワークで現実のものとなっています。
また、GDPRがデータプライバシーの国際基準となったように、この法律もAI活用の基準の一つになっていく可能性があります。数ある規定の中でも特に注目すべきは、AIリテラシートレーニングの法的な義務化です。この規定(および禁止対象のAIシステムに関する規定)は、2026年2月2日から適用が開始されます。 その他の多くの規定も、同年8月に全面適用となる予定です。
この新法は多くの組織が実務を通じて積み上げてきた知見を、規制当局が法律として明文化したとも言えます。EU AI法により、AIリテラシーは「あると望ましい」ものではなく、「組織にとって必須の要件」になりました。かつてはベストプラクティスと見なされていた取り組みが、違反時に高額な制裁金を伴うコンプライアンス要件へと変わっています。
各国でAI規制が加速し、組織には複雑なルールへの対応が求められています。 真のAIリテラシーとは、単に形式を整えることではありません。日々のセキュリティ教育と法規制の遵守をセットで捉え、「責任あるAI利用」を組織文化として根付かせることが不可欠です。GDPRと同様に、EU AI法はEU域内のAIシステムを展開する全ての組織に適用され、事業拠点がどこにあるかは問いません。本規則は2026年8月に全面適用となり、同様の枠組みはすでに世界各地で検討・整備が進んでいます。EUで事業を行っていない場合でも、近い将来、同等の要件が自社の管轄地域に導入される可能性は高いでしょう。
AIリテラシートレーニングプログラムの導入と運用
導入するトレーニングは、EU AI法第4条で求められる基礎知識を含み、スタートアップから非営利団体、グローバル企業まで、あらゆる規模の組織で活用できる設計が求められます。
組織は、従業員がAIとは何かを理解し、こうした技術がもたらす変革の可能性と潜在的なリスクの両面を捉えられるようにする必要があります。あわせて、組織内で承認・禁止しているツールの範囲を明確にし、業務での扱い方を従業員に周知することも欠かせません。
さらに、プログラムには本規制下における組織の法的要件の説明を盛り込み、全員がコンプライアンスの全体像を理解できるようにする必要があります。AIシステムのリスク分類についても扱い、より厳しい統制が必要な用途を見極められる状態を目指します。法令対応にとどまらず、導入や意思決定におけるバイアス、公平性、透明性、説明責任といった重要テーマも踏まえ、「責任あるAI活用」の文化づくりにつなげます。
実践的トレーニング
基礎知識に加えて、承認済みのAIツールを責任ある形で運用するための実務ガイダンスも欠かせません。ChatGPTのような対話型ツールについては、EU AI法やGDPRの観点を踏まえ、業務で安全に使うための注意点を明確にする必要があります。効果的なプロンプト作成から、生成された文章の安全な取り扱いまで、データ保護の観点で欠かせない実務上のポイントも盛り込む必要があります。
映像や画像を生成するAIツールが普及する中では、著作権上の留意点、業務で許容されるユースケース、規制上の重要ポイントを踏まえた利用方法も定める必要があります。さらに、人事担当者や管理職向けには、採用、評価、労務・従業員対応におけるAIの特有の課題と機会を踏まえた内容も用意することが重要です。これらは規制上、特に慎重な対応が求められやすい領域です。
第4条の要件を満たすために
トレーニングプログラムを設計する上で、次の点が重要です。
また、組織独自の運用プロセスを反映できるようにし、一般的なAIリテラシーと社内のガバナンスの間のギャップを埋めるような設計が必要です。また、サイバーセキュリティやコンプライアンスと同様に、年1回の実施で終わらせず、継続的に運用することが重要です。一般的に、トレーニングの内容は3〜4か月ほどで記憶が薄れやすいとされています。新しいツールや技術が目まぐるしいスピードで登場する以上、AIコンプライアンスは月次または四半期のトレーニング計画に組み込む必要があります。
まとめ
従業員のAIリテラシー向上は、もはや「あれば望ましい投資」ではなく、法的な義務となりました。組織は体系的なトレーニングプログラムを導入し、法令遵守を証明するための記録を適切に維持した上で、自社が利用するAIシステムに応じた継続的なスキルアップを確実に進めていく必要があります。
実効性のあるAIリテラシートレーニングには、規制要件への対応はもちろん、実務で活用するための具体的なガイダンスが不可欠です。また、欧州の枠組みだけでなく、世界各地で整備が進む関連法令を視野に入れた内容であることも欠かせません。
AI教育を「実施するかどうか」を組織の裁量で選べた時代は、すでに終わりました。欧州の組織に限らず、グローバルに展開するあらゆる組織が、それぞれの地域の法律に従って、文書化され、体系的かつ継続的なAIリテラシートレーニングの実施を証明することが求められています。